2008年05月14日

コラム「バイエルは本当につまらないか」(1)


◆バイエル教則本の「今」
バイエル教則本(以下、バイエル)とは、ドイツのロマン派作曲家であるフェルディナント・バイエル(Ferdinand Beyer, 1803-1863)が著した「ピアノ演奏の初歩(Vorschule im Klavierspiel)」の通称です。わが国へは明治時代にアメリカの音楽教師メイソンによって伝えられ、以後今日までピアノレッスンの導入教材として広く使用されてきました。しかし、現代におけるバイエルの一般的な評価はというと、「音楽性に乏しい」「古臭く単調だ」「時代遅れ」等々、芳しくない評判が目立っています。
その評価はおそらく、バイエルの音並びそのままの演奏に対するものであることでしょう。確かにそれではつまらないといえます。しかし、その印象がそのまま「バイエルの音楽性は乏しい」という評価につながってしまっていることについて、私は異論を挟まざるを得ません。

◆音楽との隔たり
ピアノの練習において、多くの方がまず念頭に置かれるのは楽譜どおり間違えずに弾くことであるでしょう。指の運動能力の向上に心を砕き、曲を間違えずに弾けるよう上達することで得られる達成感は、難しい曲であればある程ひとしおのことと思います。
ただ、今一度省みていただきたいのは、その演奏から生み出された音楽で心が満たされたかということです。
私たちが音楽を聴くときに求めているのは、美しいものに触れたときの心の充足感ではないでしょうか。そうであるならば、自らの演奏による音楽に対しても同じ想いを求めているはずです。しかし、もし上記の問いの答えに迷いがある、あるいは、はっきり「NO」という答えであるならば、それは演奏本来の目的と演奏によって生み出された音楽との間にギャップが生じていることになります。
では、なぜそのようなことが起こってしまうのでしょうか。ここでは、楽曲を演奏する上で、私たちと作曲家との間の架け橋となる楽譜に焦点を当てて考えてみましょう。

◆音並びと音楽
作曲家は、自らが美しいと感じる新たな音楽を発想しています。ここで想像されるのは旋律に限らず、楽器の音色であったり、音量の変化(デュナーミク)やテンポの変化(アゴーギク)、また、音価内において音の持続する長さ(アーティキュレーション*1)であったりします。
そして、その音楽を楽譜に書き記すのですが、楽譜には作曲者が想い描いた音楽を寸分漏らさず正確に記すことはできません*2。よって、楽譜に書かれていることをそのまま演奏しても、それは私たちの心を満たす音楽になるとは限らず、それは単なる音並びと言っても過言ではありません。
それでは、音楽とはどのようなものなのでしょうか。
本書の監修者である野村茎一は、音楽の定義を「音として鳴り響く美的内面」としました*3。これは、その人が持っている「美しさを感じる心」が想い描く音のことを意味しています。音楽における美しさを感じる心をここでは仮に「心の耳」と呼ぶことにしましょう。
前述の通り、作曲家は自らが美しいと感じる音楽を発想しています。言い換えれば、自身の心の耳による判断に基づいて作曲に臨んでいると言えるでしょう。この心の耳こそが、音並びを音楽にするために必要な要素となります。つまり、楽譜の音並びが私たちの美しさを感じる心を通じて想い描かれたものが音楽になるということです。
これまでに述べてきたことは、特別な才能を必要とするようなことではありません。多くの方が音楽によって心が満たされた経験がおありのことでしょう。これは、私たちの美しさを感じる心によるものであり、私たちに心の耳が存在していることを示しています。
またこのことは、音楽の美しさを受け入れる準備が私たちにあることをも表していると言えます。例えるならば、心の耳は無数の種を持っているということができるでしょう。その種の一つひとつは、まだ心の耳が目覚めていない断片のことです。その種が萌芽・開花を迎えるのは、前述のような音楽によって心が満たされる体験、つまり感動・共感ともいうべき音楽理解が得られた時です。これによって美しさを感じる心の一部が目覚め、心の耳が徐々に開いていくのです。
そして、その音楽理解を得た曲を演奏したいと思う、または既に演奏しようとする曲の美しさに感じ入っているならば、自身の心の耳による判断に従ってピアノまたは何らかの音でその美しさを表現すればよいのです*4


<注>
*1 例えば四分音符にスタッカートがついている場合、実際に奏される音の長さは音価である四分音符よりも、ごく短くなります。
*2 この性質は楽譜の利点でもあり、録音による音楽は録音・再生技術が向上することや、演奏に時代性が反映するため古く感じられることがありますが、その点、楽譜から直接想起された音楽は録音による欠点をクリアすることができます。
*3 音楽学者であるカール・ダールハウスは、音楽の定義を「音として鳴り響く内面」としています。
*4 演奏しようとする曲の良さが分からない、ということもあるでしょう。それはあなたの心の耳による問題ではないかもしれません。あなたの聴いた演奏が心の琴線に触れるものではなかったことも考えられますし、あるいはその曲自体に音楽的な問題が存在する可能性もあるのです。いずれにしろ、一曲を理解するのに時間を要することは時としてありえることです。


-------------

つづきはこちらからどうぞ。





posted by ジュニア at 23:02| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。