2008年05月15日

コラム「バイエルは本当につまらないか」(2)

本記事は、コラム「バイエルは本当につまらないか」の連載第2回(最終回)です。はじめからお読みいただいていない方は、こちらからどうぞ。

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◆ピアノメソード(教則本)の役割
しかしながら、自らが求める音楽へ近づこうとするその途上で、ピアノの演奏における壁が立ちはだかることでしょう。その壁を乗り越えるために必要な力を身につけさせてくれる役割を果たすのが、ピアノメソードです。
音楽的・技術的向上を実現するために、ピアノメソードに必要となる柱ともいうべき要素は主に2つです。
一つは、メソードの各曲が学習者のレベルに応じて適切に配列されていることです。この要素が欠けていると、学習者に対して一足飛びに高いテクニックを要求してしまう可能性があり、その習得の困難は想像に難くありません。まるで階段の一段一段を登っていくような、テクニックの習得における負担がなるべく軽くなるよう配慮した曲の配列が理想的といえます。
もう一点は極めて重要な要素で、ピアノにおけるテクニックの向上のみならず、音楽理解における根幹をなすものです。それは、「正統な音楽性」に基づいた楽曲によってメソードが構成されているということです。

◆音楽における伝統と正統
クラシック音楽は古くからの伝統の上に成り立っています。伝統とは長い時を経て洗練されてきたもののことです。音楽における伝統とは、作曲家や演奏家などの、音楽に深く携わってきた人々の美しさに対する感覚が長い時間をかけて受け継がれ、また淘汰された結果のことで、言うなれば心の耳の集大成です。和声学や対位法、楽式論などはその好例といえます。
伝統に基づいた音楽は、きわめて自然です*5。なぜなら、私たちの心は常に自然であることを求めており、その自然さを音で表現したものが音楽であるからです。よって、伝統に基づいた音楽はすんなりと受け入れることができます*6。その伝統を感じ取り、時代に合わせてアップデートして自作品や演奏に反映させ、そして次世代に受け継ぐことができる心の耳を持つ作曲家や演奏家は正統な音楽家であり、そのセンスこそが音楽性の基盤になるといえます。
ゆえに、正統な音楽性を持った作曲家・演奏家による音楽作品・演奏を、私たちが理解する上で必要になるのは、とりもなおさず正統な音楽性なのです。もし、初学においてそのセンスをもたないメソードを用いたり、また、正統な音楽性に基づくメソードの真意を理解せずにレッスンが行われたりした場合、いかにメソードが進んでも、学習者が正統に根ざした音楽理解にたどり着くことはできないと言っても過言ではないでしょう。よって、私たちにとって正統な音楽を理解するための入口の役割を果たすピアノメソードは、正統な音楽センスに基づいた楽曲によって構成される必要があるのです。

◆作曲家「バイエル」とピアノメソード「バイエル」
それでは、バイエルはどのような構想の下にピアノメソードとして完成されたのでしょうか。作曲家バイエルの音楽性とともに検証してみたいと思います。
これまでの考察によって、音並びと音楽が異なるものであることが明らかになったことと思います。ということは、冒頭にて述べた「バイエルの音並びのつまらなさ」が「(作曲家)バイエルの音楽性の乏しさ」を示す、ということにはならないことがご理解いただけるのではないでしょうか。そればかりか、作曲家自身がつまらないと感じる曲を書くことはありえませんから、バイエル氏の心の耳はバイエルの各曲を美しい音楽として想像していたと考えられます。
しかし、そのこと自体がバイエル氏の音楽性を示しているわけではありません。もしバイエル氏が正統的なセンスに欠け、自己流で作曲していたならば、バイエル氏と私たちの間には大きな隔たりがあり、私たちがバイエル各曲の美しさを感じることは困難です。よって、バイエルの音楽性は乏しいという評価は全くその通りということになってしまいます。
それでは、バイエル氏の音楽性は実際どうだったのでしょうか。推測する手がかりとなる情報は、バイエルの楽譜に残されています。それを入念に分析することで、以下の事実が見えてきました。
 ・西洋音楽の正統的な和声感および様式感に基づいた楽曲群である
 ・声部進行がほとんどの曲で適切に処理されている
 ・音楽表現における要の一つともいうべきフレーズが作曲家自身によって示されている
 ・学習者が技術的段階を経る上での障壁が軽減されるよう、各曲の配列および関連が深く考慮されている
各項目の詳細な解説はこの後の解析編にゆずりますが、上記の通り、バイエルは深い計画の下に高いレベルで完成されたピアノメソードであり、前項に挙げたピアノメソードの役割を十二分に果たすことができるということがお分かりいただけるのではないでしょうか。
そして、このことは作曲家バイエルの音楽性の一角を示していると言えます。つまり、バイエル氏は正統的な音楽の継承者であり、その心の耳は研ぎ澄まされていたものと推測することができるでしょう。

◆演奏の目的
優れた演奏家は卓越した心の耳によって、作曲家およびその作品が正統なセンスを持っているかを見抜くことができます。なぜなら、演奏家も作曲家も、正統に基づいた音楽性の根本は同じだからです。そして、演奏家は自らの心の耳に適った作品の楽譜から想起された音楽を、演奏によって私たちに示してくれます。その音楽は、われわれの想像が及ばないような感動的体験、つまり前述の萌芽を与えてくれることもしばしばです。わたしたちはその積み重ねにより、自らの音楽観である心の耳が磨かれていくといえます。よって演奏の目的とは、作曲家が思い描いた通りのことを忠実に再現するのではなく、自らの萌芽・開花した心の耳をたよりに音並びから音楽を想い描き、それを奏でることである、ということができます*7。このことは、演奏家が弾くようないわゆる大曲に限ったことではなく、初学におけるごくやさしい曲についても当てはまるのです。そして、その営みによって私たちは各々が求める音楽と触れ合う喜びを感じることができるでしょう。

◆バイエルは本当につまらないか
ピアノをある程度弾いてこられた方がモーツァルトを演奏するにあたっての感想として、ごまかしがきかないとおっしゃっているのをよく耳にします。結局のところどのような曲でもごまかしはきかないのですが、モーツァルトに対してそのような印象を受ける理由ひとつとして、他の作曲家による絢爛な楽曲に比べ、音ならびによる華やかさに頼ることができないのが原因として考えられます。
この事象をさらに突き詰めていくと、正統な音楽性に根付いた楽曲は音並びそのものが単純になるにつれて、その演奏者の音楽性がより反映されやすくなると考えることができます。よって、これまでに明らかにしてきたバイエルの正統な音楽性と上記の考察とを鑑みると、バイエルは演奏者の音楽性を純粋に映す鏡のような性質を持っているといえます。特に、「子供のバイエル」上巻に相当するような音並びのやさしい曲は演奏者が想像している音楽が顕著に現れ出やすいと言えます。さらに付け加えるならば、バイエルの予備練習第1番の「ドレドレドレドレドー」という極めて単純な音並びでさえ、想像することさえできれば、鑑賞に堪えうる美しい音楽として表現することができます。
前述の通り、演奏の目的とは自らが美しいと想像する音楽を表出することです。もしあなたがバイエルはつまらないと思われていたとしたら、それはあなたの心の琴線に触れるような演奏を知らないだけなのかもしれず、あなた自身が想像することができるバイエル本来の姿に出会っていないのかもしれません。
バイエルは本当につまらないのでしょうか。真の答えは、あなたの心の耳が知っています。バイエルを通じてあなたの心の耳と向き合ってみませんか。

<注>
*5 自然を別の言葉に言い換えれば、「予測可能である」「無理がない」「安定への志向」「調和」などが近いニュアンスを持っています。
*6 その受け入れた音楽を美しいと感じるかどうかについては別問題で、それはその人の心の耳に依存します。
*7 ただし、高い志を持った作曲家たちは自らの音楽を、私たちの想像を超える美しさで思い描いていたことは想像に難くありません。偉大な作曲家の心の耳に近づくためにも、やはり楽譜から作曲家の意図を読み取ることは大変重要なことであると言えるでしょう。



連載終わり
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2008年05月14日

コラム「バイエルは本当につまらないか」(1)


◆バイエル教則本の「今」
バイエル教則本(以下、バイエル)とは、ドイツのロマン派作曲家であるフェルディナント・バイエル(Ferdinand Beyer, 1803-1863)が著した「ピアノ演奏の初歩(Vorschule im Klavierspiel)」の通称です。わが国へは明治時代にアメリカの音楽教師メイソンによって伝えられ、以後今日までピアノレッスンの導入教材として広く使用されてきました。しかし、現代におけるバイエルの一般的な評価はというと、「音楽性に乏しい」「古臭く単調だ」「時代遅れ」等々、芳しくない評判が目立っています。
その評価はおそらく、バイエルの音並びそのままの演奏に対するものであることでしょう。確かにそれではつまらないといえます。しかし、その印象がそのまま「バイエルの音楽性は乏しい」という評価につながってしまっていることについて、私は異論を挟まざるを得ません。

◆音楽との隔たり
ピアノの練習において、多くの方がまず念頭に置かれるのは楽譜どおり間違えずに弾くことであるでしょう。指の運動能力の向上に心を砕き、曲を間違えずに弾けるよう上達することで得られる達成感は、難しい曲であればある程ひとしおのことと思います。
ただ、今一度省みていただきたいのは、その演奏から生み出された音楽で心が満たされたかということです。
私たちが音楽を聴くときに求めているのは、美しいものに触れたときの心の充足感ではないでしょうか。そうであるならば、自らの演奏による音楽に対しても同じ想いを求めているはずです。しかし、もし上記の問いの答えに迷いがある、あるいは、はっきり「NO」という答えであるならば、それは演奏本来の目的と演奏によって生み出された音楽との間にギャップが生じていることになります。
では、なぜそのようなことが起こってしまうのでしょうか。ここでは、楽曲を演奏する上で、私たちと作曲家との間の架け橋となる楽譜に焦点を当てて考えてみましょう。

◆音並びと音楽
作曲家は、自らが美しいと感じる新たな音楽を発想しています。ここで想像されるのは旋律に限らず、楽器の音色であったり、音量の変化(デュナーミク)やテンポの変化(アゴーギク)、また、音価内において音の持続する長さ(アーティキュレーション*1)であったりします。
そして、その音楽を楽譜に書き記すのですが、楽譜には作曲者が想い描いた音楽を寸分漏らさず正確に記すことはできません*2。よって、楽譜に書かれていることをそのまま演奏しても、それは私たちの心を満たす音楽になるとは限らず、それは単なる音並びと言っても過言ではありません。
それでは、音楽とはどのようなものなのでしょうか。
本書の監修者である野村茎一は、音楽の定義を「音として鳴り響く美的内面」としました*3。これは、その人が持っている「美しさを感じる心」が想い描く音のことを意味しています。音楽における美しさを感じる心をここでは仮に「心の耳」と呼ぶことにしましょう。
前述の通り、作曲家は自らが美しいと感じる音楽を発想しています。言い換えれば、自身の心の耳による判断に基づいて作曲に臨んでいると言えるでしょう。この心の耳こそが、音並びを音楽にするために必要な要素となります。つまり、楽譜の音並びが私たちの美しさを感じる心を通じて想い描かれたものが音楽になるということです。
これまでに述べてきたことは、特別な才能を必要とするようなことではありません。多くの方が音楽によって心が満たされた経験がおありのことでしょう。これは、私たちの美しさを感じる心によるものであり、私たちに心の耳が存在していることを示しています。
またこのことは、音楽の美しさを受け入れる準備が私たちにあることをも表していると言えます。例えるならば、心の耳は無数の種を持っているということができるでしょう。その種の一つひとつは、まだ心の耳が目覚めていない断片のことです。その種が萌芽・開花を迎えるのは、前述のような音楽によって心が満たされる体験、つまり感動・共感ともいうべき音楽理解が得られた時です。これによって美しさを感じる心の一部が目覚め、心の耳が徐々に開いていくのです。
そして、その音楽理解を得た曲を演奏したいと思う、または既に演奏しようとする曲の美しさに感じ入っているならば、自身の心の耳による判断に従ってピアノまたは何らかの音でその美しさを表現すればよいのです*4


<注>
*1 例えば四分音符にスタッカートがついている場合、実際に奏される音の長さは音価である四分音符よりも、ごく短くなります。
*2 この性質は楽譜の利点でもあり、録音による音楽は録音・再生技術が向上することや、演奏に時代性が反映するため古く感じられることがありますが、その点、楽譜から直接想起された音楽は録音による欠点をクリアすることができます。
*3 音楽学者であるカール・ダールハウスは、音楽の定義を「音として鳴り響く内面」としています。
*4 演奏しようとする曲の良さが分からない、ということもあるでしょう。それはあなたの心の耳による問題ではないかもしれません。あなたの聴いた演奏が心の琴線に触れるものではなかったことも考えられますし、あるいはその曲自体に音楽的な問題が存在する可能性もあるのです。いずれにしろ、一曲を理解するのに時間を要することは時としてありえることです。


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つづきはこちらからどうぞ。





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